その年はクリスマスの有馬記念だった。
イブの夜、数日前に彼女から振られたばかりの僕は新大阪発東京行きの最終ののぞみ号に乗っていた。
まだ携帯電話が普及したての頃だった。
今みたいにスマホで映画を観たりや音楽を聴きながら、というわけにはいかない。
新幹線の中では本を読むのが好きなはずなのに、その日はぼんやりと外を眺めていた。
凄い速度で通り過ぎていく。
トンネルに入った瞬間に、横の壁が自分の肘にあたる。
気圧の影響なんだよな、なんて思いながら、ひじ掛けと壁の間に腕を入れてみる。
またトンネルが来た。
少しだけ腕に圧がかかる。
ちょっとマッサージみたいだ。
マッサージ受けたことないけど。
トンネルとトンネルの間では、日本昔ばなしに出てくるような風景に出会う場所がある。
私はその風景を見るのが好きだった。
ポツンと一軒家があったりして、近くの畑には老夫婦が鍬をもって耕している。
たまに座っておむすびを食べているような姿も見える。
そして、すぐ傍では落ち葉や草を燃やす煙が上がっている。
この老夫婦はどこで買い物するんだろう?なんて心配をしながら自分の田舎を思い出すこともある。
ただ、今は夜。真っ暗で何も見えない。
新幹線の中は、ポツポツ人が座っているだけだった。
車掌の切符確認も終わって、もう東京まで人と話すこともない。
目をつむって寝ようとするのだが、なかなか寝付けない。
不意に窓にポツポツと打ちつけるような音がした。
冬の冷たい雨が窓に斜めの線を引きながら去っていく。
──雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう
そんな歌詞もあったなぁ。
たしか、鉄道会社のコマーシャルに使われていた。
そのコマーシャルでは、女の子が新幹線で帰ってくる彼氏をホームで待っている。
降りてくる乗客の中に彼氏を見つけられず、一人ぼっちでホームで佇む彼女。
しばらくすると柱の陰から彼氏が姿をあらわす。
それに気づいたときの彼女の顔は、不安と戸惑いと嬉しさ、そしてちょっとだけ怒ってるよ、という表情を見せる。
そして二人は楽しそうに帰っていく。
振られたばかりの自分にこれは堪える。
雨なんて降るなよ・・。
雨・・。
雨か・・・。
・・・荒れるかもしれないな。
そこから思考は有馬記念に持っていかれた。
彼女に振られた日、振られ場所の喫茶店から帰る途中、タバコ屋の軒先に置いてあったスポーツ新聞に「決戦はクリスマス!有馬記念」とあった。
それを見た瞬間、とりあえず中山競馬場に行こうと決めた。
ちょうどバイト代が出たばかりで、彼女へのプレゼントのために貯めていた金もある。
そのまま家の最寄り駅の窓口で新幹線の切符を買った。
中山2500Mはタフなコースだ。
暮れの中山は、芝生は色が落ちボコボコの馬場になる。
そこに雨が降ればぬかるんだ田んぼのようになる。
あの馬がいいかもしれない。
7歳になってようやく重賞を勝った。
福島や小倉などの荒れた馬場をめっぽう得意にしている馬だ。
苦労に苦労を重ね、ようやく立てる師走の大舞台。
人気は後ろから数えた方が早い。
いいじゃないか。
よし、あの馬の単勝に帰りの交通費を残して全部賭けてみよう!
新聞を読みながらそう決めた頃、新幹線が速度を落とし始めた。
雨はもう上がり始めていた。