昨日、2年ぶりに佐賀競馬場を訪れた。
大学入学と同時に九州を出てからは、盆と正月の年2回が父と佐賀競馬にいく時間になった。
コロナでしばらく帰省できず、久しぶりに帰省した2年前の正月。
この時はうまく時間が取れずに佐賀競馬にいくことができなかった。
その1か月後、父は急逝してしまった。
悲しみのなか四十九日の法要を終えた日の夕方、沈みゆく夕ぐれをみていると、父との思い出が詰まった佐賀競馬に無性にいきたくなった。
佐賀競馬はいつものように迎えてくれた。
私は父との思い出の場所をめぐっては写真を撮った。
そしてその半年後にツイッターに投稿してた。
昨日の佐賀競馬場はものすごい熱気に包まれていた。
駐車場は車がたくさん止まっていて、パドックは人だかり、父との定位置だったパドックを見下ろせる2階の窓際も人でごった返していた。
父に初めて佐賀競馬に連れてきてもらってからすでに25年以上が過ぎているが、こんなにもたくさんの人を見たのは初めてだった。
メインの佐賀記念、スタンドは人で埋め尽くされていた。
レースでは聞いたことのない大歓声が競馬場を包み込んだ。
この風景を父に見せたかったなぁ、まあでも空の上から見てるか。
そんな風に思った。
とてもいい一日だった。
親父に見せたかったなぁ。
— りんだりん (@gofukuya_kogin) 2024年2月12日
こんなに人が沢山いて、おっちゃんばかりじゃなくて若者や女性もいて。
いろいろ風景は変わったけどやっぱり佐賀競馬は好きだ。
4角で武豊がまくってきたときの歓声は鳥肌もんだった。地元の川田騎手もいいけどやっぱり武豊はレジェンド、別格だわ。#佐賀記念#さがけいば pic.twitter.com/tyWTUN34uc
そういえば、亡くなる半年前に父との競馬の思い出をつづった文章を「優駿エッセイ大賞」に応募した。
初めての応募で最終選考に残ったんだった。
文章に”佐賀競馬場”と固有名詞は書けなかったけど、もちろん佐賀競馬が舞台のほとんどだ。
あの文章はいつかもっと推敲してどこかでたくさんの人の目に触れるようにできたらいいな、と今は思っている。
佐賀競馬場は私と父の思い出の場所、ずっとこれからもあり続けてほしい場所だ。
以下は、「ウマフリ」さんへ寄稿させてもらっているエッセイです。
よろしければ合わせて読んでいただけると嬉しいです。
①名物実況と地方の絆~2019年・佐賀記念~
②エアグルーヴとビワハイジが切り拓いた牝馬の未来 1996年・チューリップ賞
③人馬の出会いを紡ぐ馬 ドリームジャーニー
④メジロマックイーンと新冠のじいさん
⑤エリモエクセルがくれたサラリーマン人生
⑥空白の20秒、その衝撃 - 1996年第57回菊花賞ダンスインザダーク
⑦放たれた矢は終わりから始まりへ - 2000年フェブラリーステークス
⑧我こそは“ふるつわもの”。関屋記念3戦2勝のタフガイ、ダイワテキサス。
⑨坂東”女”武者、情熱の一騎駆け。‐2006年フィリーズレビュー・ダイワパッション
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