日本競馬の黄金期といっても過言ではない90年代後半。
この頃JRAの売り上げも記録を更新し続けていた。
私にとっては九州の田舎から出てきて競馬に出会ってはまり込んだ時期。
1995年といえばサンデーサイレンスの初年度産駒が衝撃的な戦績を残した年。
皐月賞はジェニュイン、ダービーはタヤスツヨシ、ダンスパートナーがオークスを制した。
1996年は、バブルガムフェローが4歳で天皇賞を制した。
阪神大賞典でのナリタブライアンとマヤノトップガンの歴史的一騎打ちを観たのは大学の部活の春合宿で訪れた愛媛県は今治のホテルのロビーだった。
僅か3戦でダービーを制した藤田伸二のフサイチコンコルド、そのダービーで2着に敗れた悔しさをとんでもない豪脚で菊花賞を制することで晴らしたダンスインザダーク。
1997年はエアグルーヴが牝馬による天皇賞・秋制覇。
サニーブライアンの大西騎手の「1番人気はいらない。1着が欲しい。」には痺れた。
1998年はスペシャルウィーク・セイウンスカイ・キングヘイローの3強対決。
日本ダービーではキングヘイローが暴走。鞍上福永騎手も若かった。
天皇賞・秋ではサイレンススズカが天に旅立った。あの時私はオフサイドトラップの単勝を握って大儲けしたが、サイレンススズカの死に茫然自失となった。
翌週のセイウンスカイが見せてくれたサイレンススズカの大逃げの続き。
この時のことを私はこの本に書いている。
そう、実はこの本に私は執筆者として参加させていただいたのだ。
高校時代から何となく夢見ていた「文筆家」。
結局何もできないままにサラリーマンになって早20年。
今年になっていろんなことが一気に動き出し、気づけば自分の書いた文章が本になった。
小さな一歩だが、私にとっては夢がかなった日になった。
そして1999年。
テイエムオペラオー、ナリタトップロード、アドマイヤベガ。
和田竜二が一気に世に出た1年だった。
暮れの有馬記念ではスペシャルウィークとグラスワンダーの壮絶な叩き合いがあった。
暑い暑い90年代後半の競馬。
是非その熱気をこの本から感じ取ってもらいたい。